2016年4月 8日 (金)

神代桜

2016040308300000  山梨県実相寺には樹齢2000年と言われる日本最古の山桜の木がある。ここ数年狙っていくのだが、桜のこと、こちらの休みと機構があってくれるということも難しかった。

 7年ごとの御柱祭の見学の合間に尋ねてみると、満開の桜に出会得た。周囲にも桜の名所はあるが、ソメイヨシノより一足早くこの桜は満開になります。一時は、排気ガス?の為存続が危ぶまれたが、車を遮断し、治療するなりで、こうした姿を見せてくれます。ソメイヨシノの寿命が身近いのに対して、銘木の貫禄を見せつけられます。そして、もう一つ。づっと古来から日本人は桜をとても大切意にしてきたということも。

2015年10月14日 (水)

もう一つの医療

--自然療法ホメオパシー入門   (アトピーネットワーク主催)
  10月24日(土)9時45分~11時45分
   横浜市開港記念会館  6号室  参加費950円
   講師:伊藤知子さん (ホメオパス  由井寅子先生に師事)
 参加申し込み
   Email: sugiynoriko@hotmail.co.jp
   携帯  090-4810-1075
 気力、体力で突っ走ってきた人生ですが、この年で、初めてアレルギー!?災難と思っていましたが、「病気には意味がある。」今では、そう思えます。薬では治らない、現代の医療に疑問を感じた方。ホメオパシーは、日本の鍼灸のように、ヨーロッパでは普通の家庭で行われてきた医療です。
 興味のある方、ぜひ、お越しください。安心して参加いただけます。
 

mouhitotuno iryou

2015年7月25日 (土)

ネットワーク横浜・i神奈川を解散します

皆様、長い間のご支援、ご支持、本当にありがとうございました。「おだてりゃ豚も木に登る。」そんな風にして1995年からネットワーク運動のメンバーとして不断に活動してきました。

 選挙が終わってからも、「甘かった!!もっとできたんじゃないだろうか!」と街宣車に乗った夢を見ていました。湿疹に苦しむ中で、「これは私に無念を忘れさせるための神様の贈り物?!」と思い至りました。今回の選挙では、勝っても、負けても最後になるかと思い、昔からの方々にも一人でも多くお会いしたいと思って活動してきましたが、これまで、多くの人との出会い、私に語ってくださったそれぞれのご経験が、私を奮い立たせ、私の力になってきました。苦難に出会うたびに、新しい出会いがあり、深い絆に支えられてきました。

総会の準備も淡々とし、多くを語らずしてきましたが、こうして文章を書いている間に自然と涙があふれ出てきます。本当に私は、幸せで思い切り活動してこられました。皆様のおかげです。ありがとうございました。

 「藍より出でて藍より青く」が私のモットーでした。生協運動の代理人から、政治を身近なこととして大勢の個人がかかわり、政治権力を持つ。企業、団体ではなく自由な個人がしがらみなく参加できる。そういう場、緩やかなつながりが政治勢力になっていければ、民主主義も本物になるというのが私の理想でした。

このお手紙を手にした、皆様お一人おひとりの参加がその成果であり、証です。大勢の自由な個人が組織を造り、選挙にかかわり、そして多様なメディア時代の広報戦略を展開していくことが、リーダーとして、自分の性格としてでききれなかったのだと思います。

選挙後急に発症した顔じゅうの湿疹に引きこもっている間に、行政書士の資格を取った時にある総会で名刺をお渡しした元ネットの方からNPO法人設立の依頼を受けたり、成年後見を依頼されたりすると、やっぱり私は、また木に登るようで、化粧もできずに電車に乗り、開き直って勉強しながら仕事に打ち込んでいます。思わぬ処で鍼灸医にであったり、ローションをいただいたりで、病気がまた新しい人との出会いを造ってくれています。

 六角橋の事務所は、今後も私の行政書士事務所として維持していきます。電話番号も残します。今後も、形を変えて、学習会、講演会、落語会なども企画していきたいと思っています。政治団体ではなくなりますが、皆様の企画も寄せていただいて、有志の参加で、しなやかに時事問題にも触れて行きたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。事務所で仕事をすることも多くなっています。今までと同様にお気軽にお寄りください

2015年4月13日 (月)

惨敗

県議選挙の結果は、惨敗に終わりました。

ご指示いただいた皆様には大変申し訳無い結果でした。
私なりに、地域活動に邁進してきたつもりでしたが結果を受け止めて、新しい人生を歩むつもりリです。
長年ご支持いただいた多くの方に感謝申し上げます。

2015年4月10日 (金)

選挙終盤戦

Dsc_4676  選挙も終盤になり、雨が多い選挙になっています。毎日、朝早くから遅くまで、仲間と街宣に出かけます。真っ赤な車は小さいお子さんにも人気です。そろそろ、入れました!とおいう声も聞こえてきました。投票率も気になります。

 昨日の夜は、就労支援を行っているNPOの仲間が、夕方から乗ってくれました。
彼女の必死の呼びかけに、胸が熱くなりました。
 この間に、私は劇症アレルギーを発して神戸先生に点滴していただいて、腫れあがった顔を直してもらうなど、「車の絵とちがう?!」と言われても、今回はごめんなさい、修理中です。
 寒くてなかなか窓も開かない選挙戦。声を今日も届けていきたいと思います。
 

2015年4月 6日 (月)

選挙カー

 

11138658_684869004955709_6617558880 選挙に欠かせないのが、選挙カ― ところが、候補者はそうは時間かけられないので、相手任せになりがちです。メールでのやり取りで、納車時にはカバーされてくることもあって(選挙法上、納車の時期は候補予定者の図画、名前は掲示できないので、公示当日までカバーされている)実際に見るのは私たちも当日になります。

 ワォ~ かわいい宣伝カーでした。お子さんに人気があって、手を振ってくれます。皆さん 選挙に行ってください。横浜市で最低の投票率と言うのも情けないです。迷ったら、杉山典子と書いてください。

2015年3月18日 (水)

女性の輝く未来の為に

~男女雇用機会均等法から30年~

男女雇用機会均等法が制定されてから30年。労働条件は制度的には整えられてきました。それでも、出産後に退職する女性の比率は変わらず、女性の貧困が問題視されるなど女性の地位向上は実現していません。政府は「女性の輝く未来」を掲げ、管理職登用の数値目標等を打ち出していますが、女性の目は冷ややかです。女性の労働問題と捉えている限り現状は変わらないと考えるからです。

女性の社会進出を阻んできた一番の要因は、性別分業意識です。共働きでも男性の一日の家事労働時間が平均約30分という状況が、女性に責任ある仕事をもつことを躊躇させているのです。私は、このことは、女性の未婚化、晩婚化、熟年離婚や介護離婚等の近年の社会現象の原因でもあると考えています。女性も男性に高収入を求める意識があり、現代の男性の生きづらさにもなっているように思えます。男女ともに選択肢を広げ「自分らしく」生きる時代ではないでしょうか?その為には、世界でも有名な日本の長時間労働を改善し、働き方を見直す必要があります。

政府も働き方の見直しを掲げていますが、非正規雇用の拡大は正社員に長時間労働を強いていて、さらに「残業代ゼロ」にするというもの。「富国の為に」安価な労働力を提供する発想は前近代的です。本来、労働力不足は権利拡大のチャンスのはずです。長年、不当な処遇と戦ってきた女性たちが、今、労働のあり方に対しても発言するべきではないでしょうか?

2015年3月15日 (日)

木々康子さん訪問 

 先日、木々康子さんを訪ねた。失礼ながら、作家だということは存じ上げていたが、詳しいことは存じ上げていなかった。4年前に、「敗戦まで」という小説をいただいてから先生とお会いするのが、楽しみとなった。「蒼龍の系譜」で田村賞を受賞されている。

 前回の選挙に敗れてから、放っておいた頂いたその本を読んで、涙が込み上げてきた。身近に2,26事件を体験し、戦火を生き抜いて、文化人として正確な資料に基づいて、執筆を続けてこられた先生の作品に触れ、上っ面な平和主義を叩きのめされた気がした。「敗戦まで」の出版には多くの誹謗中傷があったということだ。
 私がどれほど、近代史を知っていたのだろうか、多くの諸先輩の受け売りではなかったのだろうか、自分を恥じる気持ちでいっぱいになった。それでも、政治が大事と消去法で私を見ていてくださっていたのだと。今度お会いする時は、もっと勉強して少しはましになりたいと思うようになった。
 今月、「春画と印象派」という本を出された。歌麿の版画が表紙を飾るが、きわどい作品が載せられている。しかし、美しく、滑稽であり、自由が見える。日本の春画が西洋に与えた影響は大きいという。「女性蔑視は、キリスト教下での方が凄まじいものがあった。日本はそうでもないんですよ。」「女性解放のために、フランスでは多くの女性がギロチン台に消えたのだとおっしゃられた」一作、書くのに7年ほど要するという詳細な資料調べ、学者としての事実を探求する姿勢に頭が下がりる。
 人からどう言われようとも、真実を探求し、書く。「売れる小説を書くより、残るものを書け」というのが後進へいう言葉だという。82になられても、明け方まで執筆という生活をしておられる。お邪魔と思いながら、今回も2時間も居座ってしまった。
 

2015年3月13日 (金)

戦後70年。

 82歳の女性に出会いました。品の良い顔立ちで、とても若く見える方です。最近、娘さんと一緒に暮らすようになったそうで、終戦のことをリアルに語ってくださいました。

 ウラジオストックから命からがらで、1年かけて歩いてプ釜山にたどり着き、途中で母親が死に、妹も射殺され、帰ってきても孤児で、ひもじくて豆を拾って食べた。物乞いもした。
 文字通り死体を踏み越え、母親の亡きがらもそのままにしてきたという。幸いに戦後、ソ連に捉えられていた父親が解放されて今日があるが、壮絶だった、、、
 一人で聞くのがもったいない程の重い内容なので、「書いてみたらいかがですか?」と言ったら、「こんな話、誰も聞かないわ」と笑っておられた。今度お会いする時はパソコン持って書いてこようかな。身近にいらっしゃる戦争の証言。今のうちに集めたい衝動に駆られました。
 なんだか、勇ましい方向へと安全保障法の議論がありますが、ことが起きないようにするのが外交です。一旦武力行使に至ったら、歯止めなどあるのでしょうか!多大な犠牲を私たちは絶対に無駄にしてはいけないのではないかと思います。
 

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