平和

2015年3月13日 (金)

戦後70年。

 82歳の女性に出会いました。品の良い顔立ちで、とても若く見える方です。最近、娘さんと一緒に暮らすようになったそうで、終戦のことをリアルに語ってくださいました。

 ウラジオストックから命からがらで、1年かけて歩いてプ釜山にたどり着き、途中で母親が死に、妹も射殺され、帰ってきても孤児で、ひもじくて豆を拾って食べた。物乞いもした。
 文字通り死体を踏み越え、母親の亡きがらもそのままにしてきたという。幸いに戦後、ソ連に捉えられていた父親が解放されて今日があるが、壮絶だった、、、
 一人で聞くのがもったいない程の重い内容なので、「書いてみたらいかがですか?」と言ったら、「こんな話、誰も聞かないわ」と笑っておられた。今度お会いする時はパソコン持って書いてこようかな。身近にいらっしゃる戦争の証言。今のうちに集めたい衝動に駆られました。
 なんだか、勇ましい方向へと安全保障法の議論がありますが、ことが起きないようにするのが外交です。一旦武力行使に至ったら、歯止めなどあるのでしょうか!多大な犠牲を私たちは絶対に無駄にしてはいけないのではないかと思います。
 

2015年1月31日 (土)

積極的平和主義

置き換えられる平和へのプロセス

平和学では戦争がない状態を「消極的平和」とし、戦争だけでなく「貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」を「積極的平和」とし、一ランク上の平和を非暴力で創造する、またはそうした人材の育成をめざしています。

戦後の日本は、個人、NGONPO、そして企業も、アジア諸国に対する医療、教育あらゆる面への支援や草の根交流等で「積極的平和」の創造に努めてきました。その姿が「憲法9条」に具体性を与え、平和で友好的という日本の立ち位置を築いてきました。そもそも、隣国の敵意や不信を払拭しなければビジネスにならず、企業も社員も家族も熱心に信頼回復に努め、その姿勢は日本に根づき、多くの国際交流団体が多岐にわたった活動するようになりました。皆さん御自身や家族も活動に係ったり寄付されたりしているのではないでしょうか。

一方で、安倍政権の「積極的平和主義」は国連の安全保障措置に積極的に参加し、そのためには武器輸出や集団的自衛権が必要とするもので、「一国平和主義」から脱して米国を支え紛争鎮圧に貢献しようというものです。しかし、国連のPKOは現在、原則を超えた活動に拡大し、紛争介入は新たな紛争を招くという難しさがあります。

日本は70年間「戦争放棄」を掲げることと信頼獲得への努力との両輪で「人間の安全保障」築き「特別な国」となってきたのです。しかし、今、その地位が「積極的平和主義」に揺るがされ、置き換えられようとしているのです。

2014年7月 3日 (木)

憲法9条がないがしろにされた日

7月1日の集団的自衛権を認めた閣議決定の不法、暴挙を決して私たちは許してはならない。大戦後、日本では誰も戦争で兵士として亡くなっていない、殺傷していない。私たちは、ついこないだまでそれを誇りにしてきた。このブランドが、時代錯誤の首相によって、「憲法に対して」何の権限もない無知もうまいな公務員によって変えられようとしている。

これを許容するなら、明日、わが子が日本の裏側で国防軍として(徴兵制になっているかもしれない)戦闘に参加し、負傷し、あるいは戦死することをよしとしなければならない。日本は、歴史に何を学んだのか。9条を無意味にしては、アメリカが要請すれば日本は断れないのではないか。アメリカはずっと戦争をし続けてきた。9条こそが2流の外交の中でも日本の平和を守り続けた。その事実は戦後70年の歴史が実証している。

 ベトナム戦争も、中東戦争、イラク戦争も、同盟国として正義を掲げ参加してきた。しかし、果たして、正しい戦争があったのだろうか。そのことが、平和をもたらしただろうか。正しい殺人はない。しかし、戦争となると殺人は勲章になり、正義とされる。もう、このことの誤りに気がつかなければならない。弾頭の先に誰がいるのか、国家の為に義務を課された人間、それよりも大勢の、子供や女性や平和を願う市民がいるのみだ。

 本気で戦争すれば地球が亡くなる時代。原発の点在する日本をターゲットに核弾頭すら要らない。戦争による解決はできないのだ。中国にも、韓国にも、私たちは友人がいるではないか。鬼畜ではない。戦火の下に何が残るのか、積極的にアメリカの戦争につきあうことで、日本は何を得るのか。このことは重大なことなのだ!

 日本国民は、平和的生存権をかけて、あらゆる手段で現内閣を倒さなければならない!

2014年6月27日 (金)

マスコミ報道に違和感

 1月にも集団的自衛権を認める憲法解釈が閣議決定されようとしている。あの、小泉政権でさえ理解していた、「憲法を守ることが、公務員の責務であり、縛りである」ことが、みじんも感じられない。近代国家の証である「立憲主義」がないがしろにされている。内閣に、憲法を変更する権限は全くない!!

 公明党頼みの状況だが、その砦も崩壊か、毎日暗い思いでニュースを見守る人が多いと思う。

 それにしても、あちこちで連日、集団的自衛権に反対する市民集会が開かれているのに、ほとんど報道されず、世論が届いていないことにも驚きだ。マスコミの報道に首をかしげざるを得ない。

年金や社会保障の見直しを置きざりにして、戦争に経済の活性化を見出そうとしているようだ。

     今日も曇り空だ!

 

 

2013年12月 6日 (金)

特別秘密保護法反対デモに参加

Demo_2特定秘密保護法案成立!次は、集団的自衛権か?国会の動きにいてもたってもいられなくなり、12月6日の日比谷公園のデモに参加しました。安倍氏を首相にした自民党がどうするかは想像できたはずだった!と言いたいですが、「他に選択肢がなかった!」返事が返ります。

 私としては、今は、他に手段がない!石破氏のデモを否定する発言に触発されてデモ参加。国権を制約している憲法、立憲主義そのものを冒涜する政治の暴走に怒りを感じます!!司法権の自立の弱さも感じています!違憲審査の機能を強めよ!何で三権分立なのか~国権をけん制して人権を守るためであること、その責務を発揮して欲しい。

 年とっててもいい、東京へ遊びに行ける元気があるなら、議会がダメなら、行動を起こそう!これこそ、憲法で保障された団体行動の自由です!!今やらなければ、日本だけが悪夢の時代に戻ってしまう。

2009年4月29日 (水)

田中均氏講演会

  Tanaka_227日、神奈川県民ホール会議室にて、元外務省の朝鮮問題に詳しい田中均さんの後援を聞きました。懇談会でお話できたことは、「企業や団体との草の根交流は評価されているのに、政治の舞台では発揮されていないのではないか?」という問いに対しては、「表では、評価したら得るものがない。抗議して何か得ようとしてるんです。あなたも政治家でしょ、政治っていうのはそういうもんです。」「なるほど」

 アメリカ一国主義の終焉。日本の経済大国のかげり、それでは、交渉の後ろ盾になりうる圧力とは? やっぱり、日本の外交については自信がないというのが私の私見。もしかしたら、北朝鮮のほうが外交がうまいのかも。

2009年4月14日 (火)

テポドン2号は打ち上げ花火?

 北朝鮮との緊張関係が高まっている。日本の領空を犯し、航空機が航路を変える事態になっているのは事実。しかし、いつも釈然としないのが、ミサイルか、人工衛星か、どっちなの?映像で見ると人工衛星。3段式。技術的にはミサイルと同等。英訳はロケット。日米以外の見解は安保理でも触れていない。こんなとき、世界のメディアは何をしているのだろうか?

 それでは、北朝鮮の思惑は?本当に分けの分からない国だが、先日の金氏の復帰を印象付ける打ち上げ花火だったのではないか。それにしても、発射されたかどうかも誤報、何処に落ちたかもすぐ分からない、騒ぎの割にはなんともピリッとしない防衛力ではある。

 ただ、未然に攻撃する議論も飛び出す中、イラク戦争の教訓だけは、生かされなければならない。いつも、真っ先に被害にあうのは、無実の弱者だからだ。

 

 

2008年9月 8日 (月)

自衛隊イラク派遣に違憲判決

 4月の新聞で、自衛隊のイラク派遣に名古屋高裁で違憲判決が下され、「それでも、粛々と派遣が続けられる」ことが報道されました。しかし、その後のマスコミ報道が一切ない中、原告団による報告集会、抗議行動が続いています。土曜日に、池住義憲さん(原告団代表)の報告を聞きにいきました。判決文の、すばらしさは日本国憲法を読んで感動したことに匹敵するものです。以下、抜粋します。

----------------------------------------------------------------・・・よって、現在イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は、政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した3項に違反し、かつ憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる。

 平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的な人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、すべての基本的人権の基礎にあって、その享受を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表現したにとどまるものではない。・・・・・・・・・・・この平和的生存権は、局面に応じて自由権、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対して、その保護、・救済を求め法的強制措置の発動を請求しうるという意味における具体的権利制が肯定される場合があるということができる。

 例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害される又は・・・・憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として、自由権的な態様の表れとして裁判所に対し当該違憲行為の差し止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは、平和的生存権に具体的権利性がある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 判決文は、憲法で保障する基本的人権のすべてが平和の上にあり、政府の暴走によって基本的人権が危機にさらされた場合には、具体的に司法に訴え、シビリアンコントロールすることができるとしている。判決文では、自衛隊が空輸した物資に関して、情報公開請求に政府が答えていないことも指摘している。

 私は、厳格な護憲論者ではない。しかし、ヨーロッパ諸国が非を認めてイラクから撤退する中、米に追従するために、大きく憲法をゆがめて解釈したイラク特措法によっても、自衛隊派遣は認められないとされたこと。そして、自衛隊の活動は、米の要請によって報道されることもなく、秘密裏に進められていることを危惧しているのです。

 そして、「市民は憲法改正を望まなかった」ことは、明らかです。

2008年7月14日 (月)

靖国神社「みたままつり」に行ってきました

  Yasukuni 先日、ブログで約束した「靖国」で「みたままつり」があると言うので行ってみました。四谷に住んでいましたから、よく知っていたはずですが、今回、初めて映画「靖国」で取り上げられた「遊就館」にも行ってみました。正義の戦闘と思って散っていった多くの若者、当時は、日本のみならず、多くの列強が覇権を伺っていた世界情勢。

 A級戦犯との合祀。「後の人は権利を主張するが、死んでいった人は日本兵として喜んで従軍したのでは?」「そうかも。。。。。」しかし、戦争と言う大きな犯罪、さらには教育の犯した罪を感じずにはいられない。そもそも、国体を追及すれば、国家間に軋轢が生じるのではないだろうか。

 テロは犯罪、では、戦争は?戦争は国家権力が行う国家の正義。それが、国際世界に普遍的な正義と幸福をもたらすのか。はなはだ疑問だ。

 タクシーの運転手さんが、「あのちょうちんの一つ一つに生き残った兵士の名前が読み取れる。奇跡のようだ。ちょうちんの下で着飾った浴衣の女の子たちをどう解釈していいのかわからない。」と語った。おそらく、戦争を生き残った人たちが亡くなってからの解釈はさらに異なっていくのだろう。国際世論と事実の狭間で、日本は、あいまいなまま、まだ答えを出せずにいるんだと感じた。

2008年7月 4日 (金)

映画 「靖国」を観にいきました

 話題の映画、「靖国」が伊勢崎町近くのジャック&べティーで上映中なので、出かけていった。当初、騒がれていたような、右翼が猛烈に反発するような内容ではないと思う。

 比較的、淡々と靖国神社に集まる人の姿を映し出している。映画の中で、作者がこだわっているのが、「靖国刀」。軍刀として靖国境内で作られ、献上され中国大陸で恐怖の象徴となった。

 「刀」は、匠の技に受け継がれ、精神を込められてつくられる。そして「とても美しい」と思うのは私が日本人だからだろうか。考えてみれば、殺傷の武器がこれほどもてはやされる国はあるだろうか。剣は?、中国の刀は?美術館に飾られているのだろうか。

 映画を見ながら「菊と刀」と言う本を思い出した。確かに、靖国では時間が止まったように天皇があがめられている。 そういえば、我が家にも神棚が残っている。これも天皇に続いているというわけだ。

 近く、「靖国」へ行ってみようと思った。